
生後三ヵ月を過ぎたころのことです。熱を出し、午前中、近くの医院で注射をしてもらいました。夕方の五時ごろまで泣きやまず翌日に先生に話すと、「機嫌が悪かったのでしょう」生言われました。いまから考えると、あのときの注射がと思えてならないのです。
生まれたころは、枕許を通ると、びっくりして目を覚ますので、そうっと通っていました。七ヵ月ごろ、近所の人が子供を抱いていき見てくれました。仕事が終わり連れに行き声をかけても、振り向かないので、「おかしい」と気付きました。島内の病院で診てもらい、「鼓膜は異常ありません」とのこと。しばらくして、大きい病院で診てもらうことにしました。離島ですので、船で佐世保まで一時間、さらに列車に乗り長崎大学病院に行きました。同じことを言われ、「難聴である」ことがわかったときは、目の前が真っ暗になりました。
「まさか自分の子供が…」。それから月に一度、長崎大学病院の言語クリニックに通いました。列車を待つ間、他の列車がホームに入ると、子供が鎖をくぐって走り出し、後を追いかけることもありました。いっそうのこと、子供と一緒にと、思うこともありましたが、主人や長女のこと、親戚のことを思うと、そうもできませんでした。
でもある日、考えを変えました。「子供は一人で何処へでも走って行くことができる。これがもし、目が見えなかったら…。耳でよかった」と思うようになりました。
大きくなるにつれ、外に出て近所の子供たちと遊ぶころには、子供の姿を見つけ、「洋一、洋ちゃん」と、声をかけても無駄と思っても、呼びながら走り、すぐ近くまで行ってもわからないので、やっとのことつかまえて連れ戻しました。
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